院長の知恵袋
げっぷ
- 2014.6.24
げっぷは東洋医学的に噯気ともいい、満腹時や消化不良時に出るとされ、そうでない時は脾胃や肝の働きが悪いとされています。
胃は食物だけでなく、食物の摂取と一緒に空気を飲み込んでいたり、食物の中にも、例えば炭酸飲料などのような空気が含まれているものがあったりと、実は空気が結構入っていたりします。しかし、これは全く無意味なことではなく、空気が入っていることで胃液が攪拌され胃全体に行き渡らせることができたり、胃が空の状態でも胃の大きさを保つなどの意味があったりするのです。
そして、げっぷは胃内のガスと空気の混合物なのですが、これが一定量以上貯留するとげっぷとして吐き出されるのです。
食後や炭酸飲料を飲んだ後などげっぷが出るのは普通ですが、胸焼けを伴うげっぷが頻繁に出る場合は胃腸の病気が疑われます。
御園意斎
- 2014.6.23
14世紀のはじめ、日本では安土・桃山時代の頃、花園天皇の離宮の牡丹が枯れかかった時の事でした。当時、鍼の名人として評判の高かった摂津の多田源氏の流れを汲む多田二郎為貞が召しだされました。為貞は牡丹に鍼を刺すと、なんと牡丹は枯れることなく花を咲かせたのでした。
為貞はこの恩賞として御園の姓と牡丹に唐獅子の紋章を賜ったのでした。この後、為貞は号を意斎と改め御園意斎と名乗ることになるのです。そしてこれ以降、彼の家系は代々意斎と名乗り、明治の時代まで御典医(天皇の治療に携わる医師)を務めることになるのです。
ちなみに、意斎は牡丹に鍼を刺したのではなく、牡丹についていたアブラムシを刺したのだそうです。
更年期障害
- 2014.6.22
更年期とは、閉経前後の10年ぐらいを指しており、女性ホルモンを分泌する卵巣の機能が衰え停止し安定する成熟期から老年期に移行するまでの期間としてます。そしてこの移行期間である更年期に現れる不定愁訴を総括した症候群を更年期障害と呼びます。
更年期障害の症状は種類・程度・期間は様々で個人差が大きく、急性症状ではイライラ・不安感といった精神症状や、ほてり、発汗などがあり、慢性症状では頻尿・残尿感といった泌尿器系障害や、性交痛、腰痛、肩こりなどがあります。
治療法はホルモン療法が有効とされ、そのほかにも漢方薬や精神安定剤、もしくは心理療法などが用いられることがあります。
また、食生活やストレス解消などの生活習慣の改善で症状が軽くなることがあります。
イビキ
- 2014.6.21
イビキは東洋医学では鼾声または鼾ともいい、卒中混迷時(脳血管障害)や熱が盛んなときに現れるとされています。
イビキのメカニズムは、睡眠時に意識が無くなると筋肉が緩むのですがノドの周囲の筋肉も緩みます。そうなると気道が狭くなり呼吸によって空気が通る時に「咽頭(のど)や鼻」の中の粘膜が振動してイビキが発生するのです。
イビキは健康な人でもかきますが、太っていたり、鼻や咽頭部(ノド)に障害がある人は起きやすくなります。
その中でも注意すべきものがあります。舌根がノドをふさぐ舌根沈下によるイビキは意識障害の症候の一つであり意識障害をきたす疾患には脳血管障害があり、普段イビキをかかない人が突然イビキをかきだしたら注意が必要です。また、一晩の睡眠において呼吸が何回も止まることを睡眠時無呼吸症候群といいます。これが繰り返され続けると、高血圧、狭心症、心筋梗塞、脳血管障害になどを引き起こす原因とされています。イビキが激しく時々呼吸が停止し、昼間に眠気がある人はこれもまた注意が必要です。一度検査を受けることをお薦めします。
張仲景
- 2014.6.20
三国時代で名医としては華佗が有名ですが、この時代には医聖と称えられた名医がもう一人いました。
名前は張機、字(あざな)は仲景。東洋医学の世界では張仲景の呼び方のほうが一般的で、東洋医学の古典の一つ「傷寒雑病論」の著者として知られています。
彼は青年時代に同郷の張伯祖から医学を学んでおり、その用薬の判断は師を越えていたとされていましたが、その才は医学だけではなく多才で、また広く知られていたため孝廉という推挙システムにより役人になり、50歳の頃には今で言う県知事に当たる長沙の太守になっていました。彼の人生の前半はいわゆる政治家であったのです。(ちなみに、彼の前任者は三国のうちの一つ、呉の皇帝孫権の父であり、江東の虎と呼ばれた孫堅でした)
ではなぜ長沙の太守であった彼が医道を志すことになったかというと、当時、急性の熱病であった傷寒という病が流行し、彼の二百に余る程の一族が10年の間に3分の2が死亡し、そのうちの10分の7が傷寒が原因だったのです。これに心を傷めた張仲景は官を退いて医学に専念することになったのです。
張仲景が遺した「傷寒雑病論」は「傷寒=急性の熱病」と「雑病=その他の病」の処方を中心とした治療法が記されたもので、漢方医学にとって重要な古典として位置づけされています。
しゃっくり
- 2014.6.19
しゃっくりは東洋医学的には、吃逆(きつぎゃく)、呃逆(あくぎゃく)、噦(えつ)などと呼ばれ、一過性の胃の気の上逆によって起こるとされてます。但し、久病(長期間の病)の時に起こる場合は注意しなければいけません。
しくみは、呼吸するための筋肉(横隔膜や肋間筋)が痙攣を起こすことにより、空気が急激に肺に吸い込まれる時に声帯が閉じて「ヒック」という音になってしゃっくりが出てきます。これが一定間隔で繰り返される現象で、ミオクローヌス(筋肉の素早い不随意収縮)の一種とされています。
よく俗説で、しゃっくりを治すのには驚かすのがいいとか、しゃっくりが一定回数出ると死んでしまうというのがありますが、化学的根拠はありません。但し、内臓疾患や神経疾患が原因で長時間にわたり何度もしゃっくりをする場合は注意が必要となります。
熱中症2
- 2014.6.18
熱中症は死に至る恐れのある病態です。それ故に適切な応急処置というものが必要になってきます。
1. 涼しい場所(風通しのいい日陰や、できればクーラーの効いている室内など)へ移動させ安静にします。
2. 衣服を緩める、場合によっては脱がせて体内の熱の放散を促します。
3. 全身に水を浴びせる。その場合、一気に水をかけるとショックが大きいので霧吹きをかけるといいでしょう、なければ口に水を含み吹き付けても良い。
4. うちわや扇風機などで扇ぐことにより身体を冷やす。
5. 氷嚢などがあれば、首や腋の下大腿の付け根などの皮膚の直下にある動脈の集まっている部分に当てて、血液を冷やすことも有効です。氷嚢がなければ冷えた缶ジュースを当てるだけでも充分です。冷却のポイントとしては意識が回復し寒いと訴えるまで冷やさないといけないのですが、震えを起こさせてはいけません。
6. 意識がある状態ならば、水分補給を行います。大量の汗をかいている場合は塩分が不足しているので経口保水塩(食塩とブドウ糖を混合し、水で溶かしたもの)やスポーツドリンクなどが適しています。ただし胃腸の働きが弱っている場合は「吐き気を訴える」または「吐く」という症状を起こすのでこのような時は口からの水分補給は禁物です。
7. 速やかに医療機関に移送する。救急車を呼ぶことに躊躇してはいけません。自家用車、タクシーを使う場合には搬送先に事前に連絡を入れておくと良いでしょう。
熱中症
- 2014.6.17
熱中症とは暑熱環境にさらされる、あるいは運動などによってからだの中でで多くの熱を作るような条件下に置かれることにより、体内の水や塩分のバランスが崩れたり体内の調節機能が破綻するなどして発症する障害の総称です。
そして、環境省では三つに重症度分類しています。数が多いほど重症となります。
Ⅰ度:めまい(熱失神)、筋肉の硬直、筋肉痛(熱痙攣)、大量の発汗
Ⅱ度:頭痛、気分の不快、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感(熱疲労、もしくは熱疲弊)
Ⅲ度:意識障害、痙攣、手足の運動障害、高体温(従来から言われていた熱射病や日射病がこれに当たります。)
また、これらの障害は暑い環境で起こりやすいものですが、スポーツや何らかの活動により、体内の筋肉が大量の熱を発生することで起こることもあり、寒いとされる環境でも熱中症の危険はつきまといます。
しかし、それでも気象条件はかなり重要であり、真夏日(最高気温30℃以上の日)の日数が多い年は熱中症による死亡事故が多くなります。そして近年、熱中症の死亡事故は増加傾向にあります。
WHO
- 2014.6.16
WHOとは世界保健機関(World Health Organization)の略称で、1945年にサンフランシスコ会議で構想が提案され、1948年に国際連合の専門機関として発足した国連機関で、本部をジュネーブに置き、設立日の4月7日は世界保健デーとされています。日本は1951年から加盟国として参加しています。
WHOでは健康を基本的人権の一つと捉え、その目的を達成するためにWHO憲章を基にして、伝染病対策・衛生統計・各種基準作成・医薬品供給・技術協力・研究開発などの保健分野の広範な活動を行っています。
WHO憲章の第1条は「すべての人々が可能な最高水準の健康水準に到達すること」となっており、WHOの健康の定義とは「完全な肉体的、精神的及び社会福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」とされていて、かなり広い目標となっています。
徳川家康2
- 2014.6.15
健康に関心を持っていた家康は、元々凝り性だった性格もあり、薬学に興味を持ち、漢方医について勉学し薬草園まで作ってしまうほどでした。
そんな健康オタクの家康のお抱えの医師たちですが、当然のように曲直瀬道三、片山宗哲など当代一流と呼ばれる諸国の名医ばかりでしたが、当の家康は医者嫌いだったそうです。
59歳の時、家康はマラリア熱のような高熱に襲われたのですが、これを自家製の薬で治してしまったせいで、自身の薬に自信を持ってしまったため、それ以後は医者の処方した薬には見向きもしなくなったのです。
死因となったといわれる鯛のてんぷらの食中毒事件では主治医の片山宗哲の薬で一時は危急を脱したのですが、その後はまたもや自身が調合した薬ばかり飲んでいたといいます。
片山宗哲はそれに対して強硬に諌め、家康の逆鱗に触れてしまい信州に流される憂き目に会ったのでした。


