院長の知恵袋

御園意斎

  • 2014.6.23

 14世紀のはじめ、日本では安土・桃山時代の頃、花園天皇の離宮の牡丹が枯れかかった時の事でした。当時、鍼の名人として評判の高かった摂津の多田源氏の流れを汲む多田二郎為貞が召しだされました。為貞は牡丹に鍼を刺すと、なんと牡丹は枯れることなく花を咲かせたのでした。

 為貞はこの恩賞として御園の姓と牡丹に唐獅子の紋章を賜ったのでした。この後、為貞は号を意斎と改め御園意斎と名乗ることになるのです。そしてこれ以降、彼の家系は代々意斎と名乗り、明治の時代まで御典医(天皇の治療に携わる医師)を務めることになるのです。

 ちなみに、意斎は牡丹に鍼を刺したのではなく、牡丹についていたアブラムシを刺したのだそうです。

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