院長の知恵袋

徳川家康2

  • 2014.6.15

 健康に関心を持っていた家康は、元々凝り性だった性格もあり、薬学に興味を持ち、漢方医について勉学し薬草園まで作ってしまうほどでした。

 そんな健康オタクの家康のお抱えの医師たちですが、当然のように曲直瀬道三、片山宗哲など当代一流と呼ばれる諸国の名医ばかりでしたが、当の家康は医者嫌いだったそうです。

 59歳の時、家康はマラリア熱のような高熱に襲われたのですが、これを自家製の薬で治してしまったせいで、自身の薬に自信を持ってしまったため、それ以後は医者の処方した薬には見向きもしなくなったのです。

 死因となったといわれる鯛のてんぷらの食中毒事件では主治医の片山宗哲の薬で一時は危急を脱したのですが、その後はまたもや自身が調合した薬ばかり飲んでいたといいます。

 片山宗哲はそれに対して強硬に諌め、家康の逆鱗に触れてしまい信州に流される憂き目に会ったのでした。

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