院長の知恵袋

WHO

  • 2014.6.16

 WHOとは世界保健機関(World Health Organization)の略称で、1945年にサンフランシスコ会議で構想が提案され、1948年に国際連合の専門機関として発足した国連機関で、本部をジュネーブに置き、設立日の4月7日は世界保健デーとされています。日本は1951年から加盟国として参加しています。

 WHOでは健康を基本的人権の一つと捉え、その目的を達成するためにWHO憲章を基にして、伝染病対策・衛生統計・各種基準作成・医薬品供給・技術協力・研究開発などの保健分野の広範な活動を行っています。

 WHO憲章の第1条は「すべての人々が可能な最高水準の健康水準に到達すること」となっており、WHOの健康の定義とは「完全な肉体的、精神的及び社会福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」とされていて、かなり広い目標となっています。

徳川家康2

  • 2014.6.15

 健康に関心を持っていた家康は、元々凝り性だった性格もあり、薬学に興味を持ち、漢方医について勉学し薬草園まで作ってしまうほどでした。

 そんな健康オタクの家康のお抱えの医師たちですが、当然のように曲直瀬道三、片山宗哲など当代一流と呼ばれる諸国の名医ばかりでしたが、当の家康は医者嫌いだったそうです。

 59歳の時、家康はマラリア熱のような高熱に襲われたのですが、これを自家製の薬で治してしまったせいで、自身の薬に自信を持ってしまったため、それ以後は医者の処方した薬には見向きもしなくなったのです。

 死因となったといわれる鯛のてんぷらの食中毒事件では主治医の片山宗哲の薬で一時は危急を脱したのですが、その後はまたもや自身が調合した薬ばかり飲んでいたといいます。

 片山宗哲はそれに対して強硬に諌め、家康の逆鱗に触れてしまい信州に流される憂き目に会ったのでした。

徳川家康

  • 2014.6.14

 戦国時代は、ドラマ・小説・漫画などではよく題材にされるほど人気のある時代です。そして、その時代に生きた武将の中でも最も有名な武将の一人が徳川家康です。

 戦国武将にとって、健康管理は己の覇業を達成するための重要な要素で、徳川家康は特に気を遣っていた、というよりも、健康オタクといっていい程でした。

 家康は若いころから、乗馬・水泳・鷹狩りなどを行い体力維持を欠かさなかっただけでなく、あらゆる節制、摂生を自らに課し美食、暴飲暴食を避け、常に質素な食事を心がけており、「生命は食なり、人は呑喰者が大事」と侍医達に向かって語るほどでした。

 死因となったと言われる鯛の天ぷらは、生涯を粗衣粗食を貫いた家康にとっては、最初で最後の贅沢であったかもしれません。

ワクチン

  • 2014.6.13

 生物が持っている体を守る仕組みを利用して、毒性を無くした、もしくは弱毒化した病原体を注入することで病気に対する抗体を作らせる薬をワクチンと言います。

 ワクチンは二種類に分けることができます。

 まず1つは生ワクチンと言い、これは病気を引き起こす力は失っているが、感染力と抗体産生能は保持しているような病原体を生きたままワクチンとして利用したものです。生ワクチンは獲得免疫力が強く、免疫持続時間がながいという長所がありますが、生きている病原体を利用するため、ワクチン株の感染による副反応に注意する必要があります。

 もう1つは不活性化ワクチンがあります。これは病原体を加熱や薬品により死滅させて、感染防御に必要な抗原成分のみを培養したものや遺伝子組み換えたワクチンなどを指します。不活性化ワクチンは生ワクチンより副反応が少ないですが、強固な免疫を得るためには複数回接種による基礎免疫と追加免疫が必要とされます。

 多くの人に馴染み深いと言えばインフルエンザワクチンですが、これは不活性化ワクチンに分類されます。ワクチン接種はインフルエンザ自体が少しずつ抗原型が変化するウィルスであるため、毎年流行が予想されるのですが、流行した型と予防接種した型が合っていなかったため効果が得られない、ということもあります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

  • 2014.6.12

 「モナリザ」「最後の晩餐」「受胎告知」は誰もが知っている名画であり、これらを描いたレオナルド・ダ・ヴィンチもまた誰もが知っているほど有名です。

 ダ・ヴィンチはイタリアのルネッサンス期を代表する芸術家であり、ミケランジェロ、ラファエロとともにルネッサンスの三大巨匠と呼ばれています。

 ダ・ヴィンチは本業は画家でありましたが、その才能はそれだけにとどまらず、科学、建築、天文学、数学など多岐にわたり「万能の天才」と称されました。

 そして、医学にもダ・ヴィンチはその足跡を残しています。そのきっかけは、内部を知ることにより、絵をより真実に近づけるという目的から、動物の解剖を行い、さらに人体の解剖に立ち会ったことで、そこから多数の精密な人体解剖図を作成しています。しかし残念ながら、それらの解剖図は200年以上公開されなかったので、ヨーロッパの医学史に与えた影響はそれほど大きくなかったようです。

赤外線

  • 2014.6.11

 赤外線は電磁波の一種です。大きく三つに区分でき、マイクロ波に近い波長領域の遠赤外線と、可視光線領域に近い波長領域の近赤外線、あとは、中赤外線がありますが、近赤外線の一つとして分類されることがあります。

 その用途はカメラ、リモコン、通信、暖房などと様々です。そして、医療もその中に入っており活用方法はレーザーメスやサーモグラフィー、光線療法と多様です。リハビリ室や接骨院などで、温熱治療器として見かけられる方も結構多いのではないでしょうか。

 このように、生活に深く根付いている赤外線ですが、人の目には見えないということは案外知られていなかったりします。「赤の外」なのです。

華岡青洲

  • 2014.6.10

 華岡青洲は江戸中期に活躍した人物で、実例として証明されている麻酔手術を行った医師としては最古の人だとされています。

 華岡青洲は宝暦10年(1760年)紀州(現・和歌山県)の医師の家の長男として誕生し、23歳のとき京都へ出て古医方とカスバル流外科を学びました。
 この頃の青洲は手術での苦しみを和らげたいと考えていました。そんな時、昔、中国に華陀という医師が麻沸散という麻酔薬で手術を行って多くの人々を救ったと知り、自身も麻酔薬の研究に打ち込むようになったのです。
 そして、研究を重ねた結果、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)と草烏頭(トリカブト)を主成分とした麻酔薬を完成させたのですが、人体実験の段階の至り行き詰ってしまいました。
 そんな時、青洲の母の於継と妻の加恵は自ら実験台になることを申し出たのです。数回の人体実験の結果、母の死と妻の失明という犠牲の上に全身麻酔薬「通仙散」を完成させたのでした。
 これにより青洲は46歳の頃、文化元年(1840)10月13日に全身麻酔による乳がん摘出術を成功させると、それまでタブーとされてきた外科手術、骨折整復、骨がん、脱痘などを麻酔を使って行う手術を成功させていったのです。

 その後、「紀州に麻酔手術の青洲あり」と言われほどに青洲の名は知れ渡ったのです。

高血圧2

  • 2014.6.9

 現在日本の死亡原因は、1位がん、2位心疾患、3位脳血管疾患ですが、このうちの2位と3位に高血圧が深く関わってきています。

 そして日本は全国で高血圧の人が約3000万人(4人に1人の割合)と推定されているほどの高血圧大国なのです。

 理由のひとつに挙げられるのが、塩分の摂りすぎであるといわれています。

 世界的に見ると、1日あたりの摂取量は、ヨーロッパで5~6g、アメリカだと8~10gに対して日本は11~13gとなっています。

 これは味噌、醤油、漬物、焼き魚など日本の伝統的な食事が塩分を多く含んでいるものが多いことが原因と考えられています。

 このことから現在の厚生労働省では1日の目標塩分摂取量を6gとしています。

高血圧

  • 2014.6.8

 高血圧とはWHOの基準によれば、最高血圧が160mmHg以上で最低血圧が95mmHg以上のものであるとされています。

 高血圧の症状としては、頭痛、めまい、肩こり、動悸などが挙げられますが、これらは他の起因による原因と区別がつけづらく、一概に高血圧による症状とは言えず、むしろ自覚症状は感じられず、感じたときはかなり危険な状態といえます。

 このことから高血圧症はサイレントキラー(沈黙の暗殺者)呼ばれることがあります。

 血圧が高い状態が続くと、さまざまな障害が起こります。まず、動脈硬化が促進され血管に負担がかかると血管が破裂したり、血の塊が詰まったりするということが起こります。これが脳で起きれば脳出血や脳梗塞になってしまうわけです。

 また一方で、心臓はたくさんの血液を送り出さなければならないので心肥大になり、最終的には心不全や虚血性心疾患の原因となります。

 その他では、血液を濾過して尿を作る腎臓にも負担をかけるので腎不全の危険も出てきます。

血圧

  • 2014.6.7

 血圧とは血液が血管に与える圧力のことを言い、通常は動脈の血圧を指します。

 血液は心臓から送り出されるのですが、その動きとして、心臓が収縮して血液を送り出すときに血圧は最大になります。これを最高血圧と呼び、反対に心臓が拡張し血液量が最小になると血圧も最小になり、これを最低血圧と呼びます。

 人間での血圧の正常範囲は最高血圧で130mmHg未満、最低血圧で85mmHg未満です。ただし、これはすべての人々に共通とされているので高齢になれば若干の上昇があるので、この基準より少し高い程度ならば気にすることはありません。

 また、血圧は食事を摂った後、または少し走った後、そして病院に行って緊張したりなどのちょっとした変化で変動してしてしまうので、記録としてみるのならば、毎日同じ時間帯でゆっくりと落ち着いてから測るのがよいでしょう。

ページ上へ